公園で拾った柴犬と今を生きてます

小さい頃の犬との関わり

犬が好きですかと聞かれたとき迷いなく嫌いだと私は子供の頃言ってました。なぜ嫌いなのか?噛まれたことがありそれがトラウマになってしまってるのが原因でした。そんな私にも15歳の頃に犬が我が家に連れて来られ、私としてはまったく興味もなく名前さえ知ろうともしてませんでした。当時は多少年齢的なこともあり反抗的な態度が多かった私ですが親は共働きということもあり家にはそれこそ私が出かけなければ犬の二人が自然と残されてしまうわけです。まったく興味の欠片も持てなかった我が家の犬、柴犬という典型的な犬、ご飯の時間になれば吠えて入れろ入れろ言ってくる犬、私にとって無駄な労力が増えてしまったことに変わりはありませんでした。

だけど腎臓の病気に掛かり亡くなってしまうまで私は側でいつの間にか涙を流してたのは言うまでもありません。それから数十年が経過し私も一人暮らしをするようになり何となく生活を送ってました。自宅と職場の往復はまるで他に道がないのかと言わんばかりの繰り返しでした。そんなとき公園の方からキャンキャンと聞こえる懐かしい鳴き声は猫?なわけもなく今の時代には珍しい捨て犬を見つけてしまったんです。柴犬でした。
悩みました。だけどまだ生後何か月なのと言いたくなるような小ささに気持ちは一つの答えを導き出しました。気が付けば自宅、もちろんペットは飼ってはいけない自宅で連れて帰ってしまった後悔と共に何とかなるさという感情が入り混じってました。すぐに獣医に連れて行き検査をして特に感染とかもなく虫下しとかシャンプーとかをしてもらいました。

飼っていた犬も同じことに

連れて帰ってからは元気も良くて日々を暮らしてましたが犬を連れてる姿を近隣の方に見られいよいよ引越しを考えることになりペットOKのマンションに引越しもしました。食べ物もどれが好きか選び、お風呂だって一か月に一回は入れてました。休日になれば羨ましいなって思ってた堤防のペットの散歩もボール遊びもやりました。
犬を飼うことは私にとって今では当たり前のことではありますが、過去のあのことがなければ犬を好きになってたかは分かるわけもありません。ですが目の前に今現在居る我が家のペットは明らかに犬で私は犬が好きなんです。彼は今現在、過去に暮らしてたペットの犬と同じ腎臓を患ってます。

何の因果か分かりませんが同じことが繰り返し起きてることに対して憤りといいますか運命って残酷だなと感じてなりません。最近の診察では腎臓以外にも炎症か何かが起きてる確率が高く抗生物質の効果が見られないとのことで精密な検査が必要と言われました。正直お金の関係もありどうすればいいのか分からない状況の中で目の前のペットをただただ見つめてどうにか今を生きています。このまま長生きしてくれればと願いながらただただ今を生きています。